『太陽』と手抜き

イッセー尾形の『太陽』か蒼井優の『フラガール』かで迷ったが、今日は『太陽』を観る事にした。結構期待して臨んだのだが、前半部分に目立って何度か見受けられる天皇の主観ショットに?安っぽいセットに?脇役のチグハグな演技に?巷の噂ではイッセイ尾形の演技が素晴らしい等々と言われているが、実際どうなのよ、これ?昭和天皇をどうとらえるか以前に映画としてどうなんだ。手ぇ抜いてないかソクーロフ。いや、そんなことは決してあるまい。一見しただけでも、画面構成などはかなり厳密に計算されていたように思える。しかし、役者陣のアドリブっぽい演技は、果たして計算なのだろうか?これを是か非かどうとらえるかによって見方は大きく変わると思うんだけど(私的にはもちろん非なのだが・・・)。微妙なテーマを扱うこの外国映画において、外国人監督と日本人の役者陣とのコミュニケーションをどのようにしてとったのかが非常に気になる。それにしても、ソクーロフだから厳しい批評が出てこないのか?あるいは私がそのような話題を聞き逃しているのか?それとも私の見方がおかしいのか?誰か教えてくれ。ちなみに私が観た札幌の映画館では、平日の昼間と言う時間もあったのだろうが5人程しか観客はいなかった・・・。


ところで、トラブル続きだった自分の映画だが、なんとか撮影も終わり編集作業に入る。私があらかた編集したものを、信頼している編集者や知人に観てもらうと、「K(私です)よ。手抜きしただろ」と一言。決して手抜きじゃないのだ。現状ではこれが目一杯なのよ。自主制作でスタッフも無しでこれ以上は望めない。そりゃ、私も以前なら平気で役者さんやスタッフに汚い泥沼にさっさと入れとか、爆発して火柱の立っている真ん中にとっとと行けよとか怒鳴っていた(怒鳴られてもいたけど・・・)けれども、今はそうはいかない。『地獄の黙示録』(メイキングの『ハート・オブ・ダークネス』に詳しいが)のマーロン・ブランド張りに、出演して頂いている友人達の「今日はやめようぜ」の一言で撮影を止めざるを得ない。それが自主制作の辛い所なのだ。でも泣き言は言っていられない。諦めるわけにはいかないのだ!