貧しい読書

ここ数年すっかりまともな読書などする習慣は無くなっていたので、読む本と言えば暇潰しの文芸誌か総合誌という貧しい状況であった。
で、最近ちょっと面白かったなぁというのが、新潮の三月号の四方田犬彦氏の「先生とわたし」という作品。彼がその師である英文学者の由良君美との関係を振り返りながら、「師と弟子」という問題をジョージ・スタイナーや山折哲雄の書物やフッサールハイデガーそしてハンナ・アーレントの関係、あるいはダンテの『神曲』を用いて鮮やかに(と言うよりも誠実にといった方が適切か・・・)描いている評論なのである。
中でも私が興味深かった一節は、四方田氏が韓国への渡航を当時の師の一人であるH氏に報告したところで、その時H氏は「不愉快ですね。・・・韓国にも映画はあるのですか」と述べ、その事をきっかけに四方田氏はH氏と決別するという箇所である。常々映画批評家で元某最高学府総長のH氏門下生といわれる監督たちがいつまでたっても「H先生H先生」と言うのを「ガキじゃあるまいし・・・」と思っていたところを、むしろ直系の弟子といってもよい四方田氏が冷静にそして一刀両断に切り捨てているのは爽快な気がしたし、これが師を超える一つの方法なのではとも思ったのである。

話は全く変わるが、ここのところ文学界の映画評にゲストで鈴木則文監督が対談に参加している。ホスト役の中原昌也氏は小難しい理屈は捏ねない方ではあるが鈴木監督のつきぬけ方には敵わない。さすがトラック野郎
御意見無用!