進歩か退化か

あちこちのいろんな人のブログを覗いていた時、ふと「そういやぁ日記モノの本を読むのが好きだったよなぁ」と思い出した。基本的に人の日記を読みたくなるというのは、その人に興味があるという事なんだろうけど、どうもあんまり上品な感じがしないのは気のせいか・・・。しかし、そういう事を考えているとブログの存在理由という事までも考えなければならなくなるから止める。
で、ガキの頃はさておき、記憶に残っている日記モノの最初の本といえば、今は亡き田山幸憲の「パチンコ日誌」かエリック・ホッファーの「波止場日記」か・・・。どちらも何度も読み返した記憶がある。「波止場日記」はまだしも、今となってはなんで「パチプロ日誌」まで読み返したのかさっぱり分からない(もちろん当時ほぼパチプロだった私にとって「パチプロ日誌」はバイブルではあったのは間違いないのだけれども)。その「パチプロ日誌」といえば、生みの親ともいえる末井昭の「絶対毎日スエイ日記」も思い出される。あのなんともいえない『まっとうではない大人』の雰囲気は、当時の(今も・・・?)自分の『まっとうでなさ』と重ね合わせて読んだ記憶がある。ここ数年では「ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記」か。流石に今となってはもはや「論理哲学論考」や「哲学探究」を再び読んで格闘するのは無理。それでもこんなに頭の良いおっさんの日記ってどんなんだったのだろう?という興味本位で読むだけでも面白い。
それにしても、『まっとう』な読書にしろ『真剣勝負』のパチンコにしろ最近は全くしなくなってしまった。これは進歩なのか退化なのか・・・